我が家で死ねるということ
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エンゼルケアについて
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社会的入院というのは治療の必要性がない入院という意味があるが、医療の意味合いとは別に、ケアの仕方が分からず病院に入ると医療を行っていた。寝たきり状況で点滴付けにしてきた。口から食べさせるのではなくて。食事をしてもらって、動いてもらってという当たり前のケアの方法を知らなかった。これは我々自身の歴史でもある。病院は医療しかしない、だから本来在宅死を迎えられるはずの人が皆病院死になっていってしまったわけです。
そんなことがあって病院死の割合はどんどん増えていった。で、私が在宅を始めた時は病院死の割合が頂点だったんです。今から17~18年前のことです。ここから今度、病院にいると医療費がかかるといって在宅に出される時代が始まるんだけども、残念だけども文化構造、社会構造は変わっていない、ということは戻ってきてもケアがなかなかできない。それはなぜかというと皆勤める時代でしょ、嫁さんも勤めなければいけない、誰もケアできる人がいないから寝たきりにしとくしかない。当然そういう状況の中では、(本来は在宅で自然に死があってもいいんだけれども)誰も人がいなくて看取る人、医療者、介護者、全部不足している。何より家族が在宅死をうけいれられるような体制になっていない。結局病院に戻ってもらうしかない、ということでやっぱり病院死が増えている。これをどうするかという話なわけですよ。
なにも僕は在宅で看取ることが良いことである、ベストであるという意味合いで言っているわけじゃないですよ。絶対的にそれがどうかではなく、家で死にたいという希望がある人には、家で死ぬための体制作りをしてあげなければいけないと思うんです。厚生労働省が言うように病院で死ぬとお金がかかるから、在宅で、という、一方で財源問題を持ってますよね、そういうことではなくて、我々は家で死にたいと希望する人にどのようなことをしてあげたらいいか、その為には基本に戻るけれども地域の問題が大切になるのではないかと思うんです。