病院死2009年10月15日 02:08

社会的入院というのは治療の必要性がない入院という意味があるが、医療の意味合いとは別に、ケアの仕方が分からず病院に入ると医療を行っていた。寝たきり状況で点滴付けにしてきた。口から食べさせるのではなくて。食事をしてもらって、動いてもらってという当たり前のケアの方法を知らなかった。これは我々自身の歴史でもある。病院は医療しかしない、だから本来在宅死を迎えられるはずの人が皆病院死になっていってしまったわけです。

そんなことがあって病院死の割合はどんどん増えていった。で、私が在宅を始めた時は病院死の割合が頂点だったんです。今から17~18年前のことです。ここから今度、病院にいると医療費がかかるといって在宅に出される時代が始まるんだけども、残念だけども文化構造、社会構造は変わっていない、ということは戻ってきてもケアがなかなかできない。それはなぜかというと皆勤める時代でしょ、嫁さんも勤めなければいけない、誰もケアできる人がいないから寝たきりにしとくしかない。当然そういう状況の中では、(本来は在宅で自然に死があってもいいんだけれども)誰も人がいなくて看取る人、医療者、介護者、全部不足している。何より家族が在宅死をうけいれられるような体制になっていない。結局病院に戻ってもらうしかない、ということでやっぱり病院死が増えている。これをどうするかという話なわけですよ。
なにも僕は在宅で看取ることが良いことである、ベストであるという意味合いで言っているわけじゃないですよ。絶対的にそれがどうかではなく、家で死にたいという希望がある人には、家で死ぬための体制作りをしてあげなければいけないと思うんです。厚生労働省が言うように病院で死ぬとお金がかかるから、在宅で、という、一方で財源問題を持ってますよね、そういうことではなくて、我々は家で死にたいと希望する人にどのようなことをしてあげたらいいか、その為には基本に戻るけれども地域の問題が大切になるのではないかと思うんです。

コメント (2)

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  • 1 2010年10月25日 02:37
    和 乃ん
    菜の花で深い信頼の元ご利用されて来た方がたが、最期は病院へ…。という施設方針に変化してきた事に、やりきれない思いがあります。
    場合によって、施設はある意味=「第二のお家」である筈です。
    ご家族へのアプローチがしっかりしていれば、インフォームドコンセントが上手くいっているならば、在宅や施設での看取りは今後不可欠な務めだと思えてなりません。
    療養型の病院へ転院させて解決できる筈かなくとても悩みます。
  • 2 2012年04月28日 00:58
    岩田 亜矢子
    削除キー
    先日、数年訪問診療を受けていた95歳の患者さんが、ご自宅で最期を迎えられました。
    約二ヶ月前に肺炎で病院に搬送されましたが、ご家族の強い要望で在宅酸素を導入し、自宅へ戻られました。
    かかりつけ医が、在宅支援診療所ではない場合、24時間体制で医師が見取りに立ち会えるように体制を整えるのは、なかなか難しいことでした。それが難しいと思うことに、やはり最期を病院で迎えることのほうが、当たり前になっているのではないかと感じました。
    今回、患者さんご本人と、素晴らしい療養環境で細やかなケアを続けられた娘さんにとって、望んでいた最期を迎えることができました。
    後日お会いした娘さんは、寂しさももちろんあると思いますが
    、すがすがしい印象を受けました。
    もし体制が整わず、病院での最期だったら…
    娘さんは寂しさの他に、後悔や憤りの気持ちも持ってしまったかもしれないと思います。

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